「『車が趣味』という男性」に対する単車男的言い訳

以前はある数字4桁でコードネームのように名乗って言いたい放題書いていたが、ちょっと休息?してまた戻ってくると同時にハンドルネームを変えて、ここに書き始めて早2ヶ月。以前やっていたWebサイトで何度か引用したり1度だけだがオフ会に参加したこともある小町さんの「われ思ふ ゆえに・・・」より、どうしても反論…というか弁解あるいは言い訳(駄々こね?)したくなったので引っ張ってくる。

「車が趣味」という男性

しかし、この春引越しをすることになり家探しをしたときはさすがにうんざりした。夫が「シャッター付きの掘り込みガレージか、屋根・扉付きのガレージがある家」にこだわったからだ。どんなに間取りや周辺の環境のよい物件を見つけても、青空車庫だと問答無用で却下される。

車好きは「バイクより快適だ」と言ってるだろうしバイク好きは「箱に乗せられてる車より跨り操るバイクが楽しい」と言う人もいるように、ドライバーもライダーもお互いの認識や思い入れ(思い込みとも言う)は異なる。けれども車にもバイクにも大して興味の無い人から見れば目糞鼻糞、五十歩百歩なんだろう。荷物が運べて乗れれば良い、が大方の意見かと思う。

新居を構えるにあたり、ガレージ付きを最優先とした小町さんのご主人はやり過ぎなところも否めないが、双方の気持ちはどちらも分かる。もしも自分がさあ新居を構えるぞ、となったとき、ガレージの優先度は最上位とはいかなくとも、考慮には入れたい。もちろん生活も大事。子どもができれば安全な通学路である方が良いし、買い物や駅までの距離も大事なポイント。それに加えて理想を言えば、愛車を格納して一通りの整備ができる環境が欲しい。そこにギターアンプとか置いて文字通り「ガレージバンド」ができれば尚良い。家庭内乱…じゃなかった、家庭内LANということで無線LANを導入し、ノートPCで日記更新。バイクの隣りで旅日記を更新し、近所迷惑にならない程度でギターをジャカジャカ言わす。まさに隠れ家。男は子供のときから隠れ家に憧れる生き物なのだ。それが押入れであり、裏山の秘密基地であり、そして書斎やガレージである。行きつけの飲み屋に求めることもある。「あんたはガレージに住むんかーっ」と言われようが、ガレージ住めりゃむしろ本望だ。

ある知人は結婚を機にバイクを下りた。もっとも、最近ホンダのナナハンを買って復帰したそうだが、やはり夫婦で一悶着あったようだ。曰く、「結婚前のように家内がバイクの後ろに乗らなくなったし乗せなくなった」と。またある人はバイクを売って結婚指輪を買った。曰く、「俺はZZR400という愛娘を嫁に出し、A子という嫁をもらった」と。彼らの顔には一抹の寂しさが伺えた。

「家族みんなの道具」が「一人の道楽」となった瞬間から家庭をとるか趣味をとるか、という話が始まる。それは、女心の根拠である(と勝手に推測している)現実論と、男心の根拠である理想論の差異でもある。ベクトルが全く違う両者は主張すれば主張するほど隔たりが大きくなる。そこでどう織り合いをつけるかは各家庭の協議と力関係次第だろう。そこで男は葛藤する。その車あるいはバイクのために積み重ねてきた今までの汗と涙とパーツとお金、そしてそれに纏わる喜怒哀楽や思い出をそう簡単に手放したくはないのだ。

車についての考え方、思い入れは人それぞれ。とはいえ、命より車を大事にしたり、人間より車の住み心地を優先したり、子どもの体を洗ってやるより洗車に幸せを感じたりする人が家族だったら、やっぱり困る。

もっともなことで、反論の余地もない。世帯の収支や生活の向上という目の前の現実からすれば、道具ではなく道楽と化した車やバイクは無用だという理屈はよく分かっている。にも関わらず、褒められもしない車やバイクを大事にするのはどういう料簡か。それは裏山に秘密基地を作って数々の"作戦"を本気で考えていた少年の延長なのだ。分かってくれとは言わない。頭の片隅に置いといてくれくらいは言いたいところ。

「そもそも何故バイクなのか」という問いに理論的に納得のいく答えはない。せいぜい「そこに道があるから」とか「走る悦び」とか言うしかない。東本昌平の漫画・キリン風に言えば「こちら側の人間だから」だ。結局「何それ?意味が分からない」と火に油…もとい、ハイオクのガソリンを注ぐに等しく、話はますますこじれるだろう。



実を言うと、今日のタイトルは"「車が趣味という男性」に対する単車男的反論"だった。でも小町さんの日記を読むほどに、考えるほどに、現実相手には理論的に反論はできないことに気付き、弁解とした。弁解さえもなってないから言い訳で落ち着かせた。うーむ、推敲を重ねると言い訳にすらならなくなった。自戒か?

車やバイクを趣味としていたが結婚を機にやめたという話はよく聞く。しかも本音は「できれば手放したくなかった」。でも、そもそも生活ができなければ好きな車やバイクに注ぎ込むことはできないし、趣味としての車、道楽としてのバイクが続けられるのも内助の功と思うべき。僕も将来、交渉すると思う。扉付きとまでは言わないが、せめて屋根付きにしてくれと。その代わり家事とかやるべきことはやる、と。理屈で反論できないから、子どもに風呂をやるとか食事の用意をするとか、大人の対応でもって、自らの子供心は放棄しないでいたい。