小室哲哉の功績と著作権


小室哲哉は「歌」ってる人以上に「プロデュース」している人の方が目立つようになった草分け的存在と認識している。音楽プロデューサーという職業は昔からあったんだろうけれど、彼ほどプロデューサーとして表によく出る人は前代未聞だったのではないだろうか。小室ファミリーがなければ、つんくファミリーも無かったかもしれない…過言だろうか。

小室自身もTMネットワークとして、Globeとしてミュージシャンであったけれど、やっぱりプロデューサーとしての活動で一世を風靡したせいか印象深い。小学校高学年から中学くらいまで、ヒットチャートのほとんどが小室プロデュースだったこともあった。trfのBoy Meets Girlとか懐かしいもんだ。。。あとサバイバルダンスとか。

表に出るプロデューサー。なんか、物言う株主みたいだけれど、プロデューサー、作詞家、作曲家として飯を食うってことは、著作権(著作財産権)による印税収入。さらにテレビなどによく登場することで、出演料もプラス。こうして、プロデューサーがいかに儲かる商売かを世に知らしめたのは一つの功績と言っていい。もちろん、才能あればだけれど、ここでいう才能とは、音楽の才能に加え、歌手を売れっ子にする、プロデュースする才能の双方が必要ってこと。オーディションで好みの声質を選び(小室ファミリーってだいたい似たような声のボーカルのような気が…ファンには悪いが)、出版社や広告会社にも働きかけた。

でもブームってのは非情なもので、人気がなくなりゃ一気に失速。そして多額の負債を抱え、詐欺に走った…
おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。というのは簡単だけれど、一度知った蜜の味は簡単には忘れられないんだろう。プロデューサーとして、「著作権で稼ぐ」ということを世に知らしめた人が、最後は「著作権を持ち出した」詐欺で逮捕に至るとは、皮肉なものである。