あくまでWeb-logという位置づけは貫きたい

ずいぶん放ったらかしの当ブログ。はてなハイクTwitterばかりやってるもんで、「個の発信」のかなりの部分がそっちに持っていかれてしまっている。ある程度まとまった文章量で、そこそこそれなりに考えて発信するならブログもまだまだ捨てきれない。そんな折り、こんなエントリーが目に留まった。

 なんでもっとみんな「自分のこと」を書かないのだろう?

 僕はよく本や映画の感想を書いているのですが、それに対しても、必ずしも好意的なメッセージばかりが寄せられるわけではありません。

 いや、「自分はそう思わない」っていうのは構いませんよ、それはあくまでも「個人個人の見解の相違」だから。

 でも、「そんな感想を抱くお前はおかしい、間違っている」って言う人がけっこういるのは悲しいことです。

 いやまあ、「他人の感想をおかしいと思う」のも自由だと言われたらその通りなんだけど、そういうのは、その人が胸にしまっておけば良いことじゃないですか。

 僕が最近の個人ブログで「つまらない」と思うのは、みんな「公的な立場を意識しすぎている」というか、「評論家としてふるまおうとしすぎている」ことなんですよ。

個人ブログの現在、そして、たぶん未来 - 琥珀色の戯言

テキストサイト全盛期は、何ていったって、おもしろいテキストがあった。絵日記サイトブームの時もしかり。ブログ全盛期になると、事情がちょっぴり変わって、母数がものっすごい増えた。僕みたいな一個人がちまちまとテキストサイトの延長でやっていた例もあれば、有名人が始めたり、たった一言+写メ(笑)でものっすごい数のPV数、いわゆるアクセス数を稼ぎ出した。猫も杓子もブログ、ブログ。個人はおろか、番組ブログなんてのもでてきた。すると、面白いブログとそうでもないものが玉石混淆となった。そして「アフィリエイトで手軽にお小遣い稼ぎ」を謳う雑誌やムック本がうじゃうじゃ出てきた。

ブログとはこうあるべき、という定義なりガイドラインなりは存在しないから、好きなようにやりゃあいい。少なくとも僕は、

  1. ある程度の量で
  2. ちょっとくらいは考えながら
  3. 賞味期限の長そうで
  4. 他者を否定しない内容

を頭の片隅においている(つもり)。3番目の賞味期限の長そうなもの、というのがあまり良い表現が思い浮かばずこう書いたけど、「後から読み返して赤面しないもの」あるいは「今この一時の話ではないもの」にしたいという意図だ。

今、まさにこんなことがあった。というたったそれだけの話で、一言二言で終わり、それが流れ去っても構わない程度のチラ裏ならTwitterあるいはハイクに書けばよろし。ブログはやはりWeb上のlogにしたい。

とはいえ、しばらくサボり気味の当ブログ。ここでふと、上記引用記事にインスパイアされてふと思ったが、極度に独りよがりであることを恐れてメッセージ性、主張、自分の意見を抜きすぎてないかということ。そして、誰かのために有益な情報を書かなければいけないという変な使命感、ひいては評論家ヅラしてるんじゃないかということ。

自分の主観で他人を裁くのを見聞きするのが嫌だ。不祥事記者会見で検察宜しく嬉々として取り調べてるワイドショーの記者も、ニュースサイトでマスゴミマスゴミチョンチョン言ってる連中も、近寄りたくない。矛盾しているけれど、彼らのようになりたくはない。

独りよがりなメッセージじゃなくて、勝手な批評・評論を超えた弾劾でもなく、こんなことがあったけど自分はこう思う/こう考える/こう感じたというところを具体的に、直接的に語れる場でありたいなと。

そういうわけで、不定期更新の当ブログを、今年もよろしくお願いします。