勘違い人権団体による委員長禁止という名の学校破壊

これは学校崩壊ではない、頭の悪い団体による学校破壊と呼ぶに相応しい。まったく我が目を疑うニュースだ。
J-CASTニュース : 鳥取の小学校は「学級委員長」なし 「なれない子供が傷つくから」?

鳥取県の公立小学校が「学級委員長」を無くしたのは、人権団体などから「委員長になれなかった子供が傷つく」「自分にはできないと劣等感が生まれる」などの抗議があり、自粛が全県に広がったためだという。図書委員、保健委員といった担当者はいるが、これらの委員は全て横並びの関係にしている。また、「差別」の観点から、運動会の徒競走でも全員が同時にゴールできるように、走るのが遅い子供に対しては、コースをショートカット(近道)したり、スタートラインを他の生徒より前にしたりする学校もあるのだそうだ。

徒競走で手を繋いで走る小学校があるとか、学芸会で全員が主人公だとか、そういうのは都市伝説的に語られるもんだと思っていたが、まさか学級委員長が、しかも20年もの間、鳥取県には存在しなかったことには驚きを通り越して唖然としてしまった。

そうした中、鳥取市では2009年春から1校だけだが「学級委員長」を復活させる。
(中略)
その学校は「鳥取市立湖南学園」。08年に小中一貫校の指定を受け09年春から本格的な一貫教育が始まる。同校の金田吉治郎校長はJ-CASTニュースに対し、子供の保護者などから自分の意見を大勢の前でも堂々と表明できるような子供を育てて欲しい、という要望が多くあり、09年春の一貫校としての新制度策定がいい機会だったと明かした。

湖南学園、という字面からして公立らしからぬ学校名だなぁと思ったら小中一貫の、いわば特別校だったのか。

僕は中学高校と、クラスの委員長を歴任してきた。中学の入学式当日、初めて集まるクラスで、クラス委員を決めるとき、担任が「委員長立候補する人!」というや否や、真っ先に手を挙げたのが僕だった。というノリで、副委員長も圧倒的短時間で決定し、委員長と副委員長のコンビは2学期始業式と3学期始業式に選挙があったにも関わらず1年間崩れることは無かった。ついたあだ名が「いいんちょ」だった。その後卒業まで一部からいいんちょと呼ばれ、委員長でないとき(といっても中高一貫の6年間18学期中4,5学期程度しかなかったが)でさえ委員長だった。はじめはコッ恥ずかしくもあったが、慣れたら別になんとも思わぬ。もちろん「いいんちょ」だから偉いとは思っているはずもなく、また周りも「アイツは委員長だから偉い」とは微塵も思われなかったろう。むしろ、思春期を迎えなかなか自ら手を挙げる人が減ったのに「変わったヤツだ」と思われていたに違いない。

勘違い人権団体は抗議をするのが仕事だから兎にも角にも何かにケチを付けなければならない可哀相な団体である。同情はしない。

さて、もしもクラスに委員長がいなければ…。と、引用記事のタイトルを見てあれこれ論じるつもりでいたが、鳥取市教委が見事に僕の言いたいことを言ってくれている。もう一度引用。

鳥取市教育委員会はJ-CASTニュースの取材に対し、
「横並びで生徒は『誰かがしてくれるだろう』と考え社会性、自主性が育たない。2、3年前から市内の小学校に委員長の復活を呼び掛けてきた」
と打ち明ける。人権団体とも交渉し「苦情は受け付けない」と突っぱねたのだそうだ。

そう、いま子供に限らず、一部の大人もそうだけど、結局「誰かがしてくれるだろう」がものっ凄い幅を利かせている。自主性を育てるとかいう近年の教育の目標からすれば程遠い、むしろ逆方向にある意識ではなかろうか。

「委員長になれない子供が傷つく」とするなら、その子供は委員長になるために行動したのか。指をくわえて指名され、あるいは推薦されることを待っていたのか。アホな。そんなヤツを誰が指名するか。それで委員長になれないからと勝手に傷つく程度の子供は社会に出て何もできない。何を甘ったるいことを抜かすか。え?子供にそこまで求めたらかわいそうだ?それならニートになったのは「教育が悪い」とかホザかないで頂きたいもんだ。

棚からぼた餅というが、本当にぼた餅が欲しいのなら、そのぼた餅が落ちてきそうな棚を見つけるとか、ぼた餅を落とす工夫をしなければ、いつまでもコタツに潜っていても落ちては来ないゾ。