あのとき、真似事の領域から飛び出せてなかったのか

*注* 別blogにも書いたエントリーを大幅修正

先週のこと、出張でとあるメーカーのFRP製品試作現場に行ってきた。

FRPってのは強化繊維プラスティックの略で、非金属構造体として使われるアレな素材。鳥人間コンテスト用飛行機のフレームにも使れるし、実際、僕が所属していたチームではメインスパー(主桁、背骨に相当)を中心に重要構造物はC-FRPというカーボン繊維のFRPをハンドレイアップ製法で巻き上げて作っていた。自分が所属していた作業班としてはあまり携わらんかったけど、それでも1回生くらいのときにFRPパイプ製作を少しばかり手伝ったことがある。

FRP の製法もいろいろあって、また材質やメディア素材もいろいろ。それぞれ特徴があり、一長一短。設備や予算もあるから、学生の一サークルがVaRTM製法やプリプレグ製法の設備、またそのための素材を簡単に、惜しみなく用意できるかといえばなかなか難しい。苦しい財政状況の弱小チームだから、大学からの支援も年々減少あるいは「結果を出せ」と言われる。結果を出すためには設備投資のための資金が先だと思うが「結果が先だ」との意見は平行線。学生も大学も遊びじゃないんだな。

ということで、当時の自分たちの設備と予算ではハンドレイアップ製法によるC-FRPが最大限だったんだけど、その予算的最大限のなかでもまだまだ改善の余地はあったかもしれない。
たとえば、温度管理。樹脂と硬化剤の配合バランスは温度条件によりかなり変わる。樹脂まみれのボロボロの秤でてきとーに計って「な〜んとなく2%かなー」と硬化剤を配合するんじゃなくて、冷暖房完備で室温一定の部屋で、樹脂注入直前に毎回サンプルを作って配合バランスを確認するメーカーのやり方。当時の限られた作業スペースではどうしようもなかったかもしれないが、せめて配合バランスの確認くらいはもっとすべきではなかったか。(ちょっとはやったけど、毎日毎日やってたわけではない)

井の中から飛び出た蛙が、メーカーの試作現場という大海を目の当たりにしたのだ。学生時代にやってたことって結局真似事の域から出てなかったのかなぁとさえ思った。

他にも、過去を思い浮かべてみればあれをしておけば良かっただの、こういう体制を敷けば良かっただの色々と思ってしまう。
サークルは楽しけりゃいいってのもあるんだろうけど、やっぱり飛びたかった。前年の本番で起きた空中分解だけは避けたかった。それなりに本気でやってたサークルだったから、大変なことはあっても最後は飛ばしたかった。そういうサークルだった。少なくとも、当時はそれなりに一生懸命だったんだけど。



という状況で、今の後輩たちのチームの状況を風の便りで聞いたり、採用活動の一環で先輩社員として母校訪問してついでに作業場を見てみると、口出したくなることが山ほどあるのだ。自分たちのやってきたことが、時の流れと共に美化されていることもあるかもしれないが、それでも現状はますます「退化」し、事実、前回も前々回も予選落ちしている。図面や作業風景を見ても、到底飛べる飛行機ではなく、飛ぶ飛行機を作れる状況ではないことに怒りすら覚えるのだ。

昔は良かった。それに比べて今時の若いモンのていたらくぶりはなんだ!とはオッサンの口癖。そうはなるまいと思っていたのに、たかだか2,3年でそう見えるのだ。情けないことに。そして、引退して、卒業して何年か経ってて、今では僕を知る人は大学院生や4回生の一部(いわゆる在学OB)くらいしかいない。つまりもはや知らないオジサンと見られても仕方が無い。が、このまま飛ばない機体を作り続けて、どこが悪いのか何が間違っているのかも分からないまま方向性を見失っていいのか。現状には黙っちゃいられない。でも。引退して何年も経つOBが、どこまで口出しできるか、見守る方がよいのかというジレンマ。

小さな光を見いだすとすれば、僕の心配と現状の不味さを痛いほど知っているOBの先輩が大学教員としてサークルの顧問に就任したこと。皮肉にも、学生じゃなくて顧問を応援したくなる今日この頃なのだ。