数学を勉強する意義についてちょっと考えてみる

ディスカヴァー社長室blog: 国際学力調査 数学が楽しくて日常生活に役立つものである必要があるのか? ●干場

でも、待って! 算数ならともかく、数学がふつうの人の日常生活に役立つ必要なんてあるんだろうか? まあ、中1で習う一次方程式や三平方の定理、一次関数ぐらいまでなら、役にも立とう。でも、二次方程式の解の公式とか、円周角とか、三角関数とか、複素数とか、はっきり言って、わたしはもちろん、弊社の東大出だって、憶えていないし、文系の仕事なら、それで、何の不都合もない。


そもそも、数学を日常生活に役立てようなんて発想が間違っていると思う。役立つ必要なんかない。役立てようという発想がせこい!


なぜなら、日常生活とは、いわば具象の世界で、数学とは、抽象の世界を学ぶことだと思うからだ。

同じ数学でも、理学部の数学と工学部の数学は別物だ。
理学系数学は数学そのものを学問の対象とするのに対し、工学系のそれはあくまで道具でしかない。ちょうど英語みたいなもんで、英文学科の英語は英語そのものが研究対象だけど、そうでなければ英語なんてコンミュニケーションの道具でしかない。大学受験で一生懸命、第何文型がどうとか過去完了形がどうとかそんな「約束」を学んできたところで、大学に入って、卒業して、就職して何の役にも立っていない。英語の作りについてなんか興味の対象ではなく、でも、英語を使ってLetter / e-mailが書けたり読めたりできれば良いのである。それが使える英語というものだと思う。

数学は道具だと思っているから、数学を「役立てる」という意識は、どちらかといえばある。けれども、理学系数学のように厳密性に拘り、数式の美を追い求めているわけではないので、工学的に物を見るのに、解析するのに、その数式が意味するところさえ分かればそれで良い。というのが僕の数学に対する認識。僕に限らず、工学部出身者の言い分はそんなもんじゃないか?と勝手に想像している。

でもそれは理工系の言い分で、じゃあ文系は数学なんかいらないのか? と言われると――??

「数字は嘘をつかない」という答えなんかどうだろう。そして数学的に解くとは、論理的に考えるということ。考えに根拠を求めるということ。「前例がこうだからこうしました」と言う人がいるが、それはまるで「似たような問題で答えがこうだったから、同じようにしました」と言ってるようなもの。それは山カンでしかなく、論理的に実行したとはお世辞に言い難い。

数学の法則や定理なんてどうでも良いのだ。少なくとも、直接数式を使うような仕事でなければ。それは理系人間が仕事で英語を使わざるを得ない場面に遭遇した時、いちいち文型や品詞に拘るようなことはしない、ということ。あー、品詞が間違ってりゃ違和感はあるか。まあでも、相手はイチイチ「あなたは文法が間違っているからこの商談はなかったことにしよう」なんてことは言わない。

数学を勉強するたった一つ(かもしれない)の理由、それは、物事を論理的に進める方法をものっ凄い遠回しかつ強烈に体験するためなのである。