美しいノートだから東大生になれるってワケじゃないだろう?

「東大生のノート」の秘密を探れ 膨大な情報…体系的に整理(産経新聞)

 「書くという行為は一見非効率にみえますが、東大合格に必要なのは、膨大な情報量を体系的に整理する能力なんです」。東大の2次試験は4教科5科目で全問記述式。分析を進めるうち、「ノートをまとめる少しの手間が効率化につながり、2次試験対策になっている」ことに気づいた。受験日の“お守り”代わりに自分のノートを持っていったという受験生のエピソードなどを聞いて、自分の“作品”への自信を感じた。

噂の本が本屋で平積みされていたので、ちょっと手に取って見てみた。なるほど、いかにも頭の良さそうな人のノートが掲載されている。この本で参考になった、というかちょっとやったことあるのは「教科書を丸写ししない」というところ。教科書を見れば載っていることをわざわざ書くのは時間の無駄(書いて覚えるということもあるから全くの無駄ではないだろうが)。それならコピーして貼付けてオシマイ。そこに色ペンでコメントとか注釈とか入れていけば自分だけの参考書になる。

けど、中には、ノート作成に手間取り過ぎて、「ノートを作ること」が目的化され、キレイなノートが出来たらそれで満足する人も少なくない。僕なんかその部類に入る方で、ノートに限らず、「勉強の予定表」を作ることで燃え尽きてしまい、予定を立てたら最後まで完遂するとは限らない。夏休みの予定なんてその最たるもんで、予定では7月31日にすべての宿題が終わるはずなのに8月の最終週は慌てふためいたもんだ。

たぶんに、東大生は綺麗なノートを「使える」スキルがあるから頭が良いんだろう。ノートが綺麗なのは結果ではなく、副産物に過ぎない。綺麗なノートを作るから頭が良いんじゃなく、頭が良いからノートが使えるのだ。そして凝り過ぎてノート作成に手間取り、それを使って勉強できなくなるのは本末転倒。美しいノートコンテストに出品するんじゃあるまいし。

僕の知っている東大…じゃなくて京大に行った人のノートはお世辞にもキレイとは言えず、東大と京大にそれほどの差は無いと見ている。少なくとも「必ず」美しいのは過大表現である。ただ、情報整理能力が高いのは頷ける。そして不思議なことに、頭が良い人ほどノートに絵(図、グラフ含む)が多い。これは科目や分野によらずである。文字で捉えるのではなく、イメージとして捉えるから理解が深い。

はてなブックマークより

はてなブックマークのコメントで最も的を得てると思ったのがこれ。

id:georgew "ノートを書くこと自体が自己目的化しそうなブームの予感。"

手段と目的がすっかり入れ替わっても気付かない昨今の日本人。綺麗なノートが作れるようになったら頭が良くなると安直に勘違いする人が増えそうな予感。